八橋城

別名 大江城 付近住所 鳥取県東伯郡琴浦町八橋 現在 八橋駅前
2003/8/9 碑・案内板アリ 日本城郭大系


行松氏→
吉田氏→
杉原氏→

南条氏→

中村氏→

今尾藩より
市橋氏→
三条藩へ

津田氏
この城は山陰線のかいつうにより分断されたのが八橋城跡である。中世、行松氏の居城で大江城とも号した。大永4年(1524)ここを攻略した尼子経久は城番として吉田左京亮を置いて伯耆支配の拠点とした。その後、尼子氏を滅ぼした毛利氏は杉原盛重に城を守らせた。天正年間に入り織田氏と対決するようになると八橋城は山陰での毛利勢の中心拠点として、重要視され城の整備が進められた。「伯耆民談記」によれば東に大手を構え本丸と二の丸があり周囲に堀を巡らせていた。豊臣治下では南条氏が領有したが関ヶ原の合戦後の徳川治下で一時期、中村氏・市橋氏が封ぜられた。元和3年(1617)池田光政が鳥取藩主になった時、一藩一城制で廃城となる。寛永9年(1632)池田光仲入国後、津田氏が八橋を領し以降、明治維新まで陣屋を置いて治めた。津田氏の菩提寺体玄寺(南西200m)の西丘陵上に津田氏の墓所がある。雄大な墓碑十一基が往時を偲ばせている。


城跡碑

HOME